筋肉と脳は、深く関係しています。筋肉を鍛えれば記憶力や学習能力がアップし、脳の老化防止につながります。そのカギを握るBDNF(※)というタンパク質について、お話しします。
※BDNF=Brain-derived neurotrophic factor 脳由来神経栄養因子
筋肉が収縮すると、タンパク質の一部が分離して、アイリシンというホルモンが分泌されます。アイリシンは脂肪の燃焼を促して、基礎代謝を上げる働きがあることで知られています。太りにくい身体づくりに、欠かせないホルモンですね。
さらに近年の研究で、アイリシンは脳に良い影響を与えることも明らかになっています。筋肉から血液を経由して脳に入ったアイリシンが、BDNFを増加させるんです。BDNFとは、脳や血中に存在するタンパク質の一種。認知症予防に必要不可欠な存在として、脳科学や精神医学の世界で注目を集めています。具体的には、以下のような働きが確認されています。
※シナプス=神経細胞のつなぎ目にあり、脳内の情報伝達を担っている。
つまりBDNFというのは"いい頭"をつくる栄養分のようなもので、これを増やすには筋肉を動かすこと。よく"運動は脳に良い"と言われるのも、BDNFの働きが大きかったわけです。
脳のなかでBDNFがつくられるのは、海馬(かいば)という小指ぐらいの大きさの部位。海馬は"記憶の司令塔"とも呼ばれ、脳に入ってくる大量の情報を取捨選択し、必要な情報を保存する役割を担っています。
海馬は歳を取るにつれて萎縮していきます。そのせいで、記憶障害や認知症のリスクが高まるとされています。"最近、物忘れがひどくなって..."といった高齢者の会話をよく聴くのも、海馬の萎縮が関係しているんでしょう。
だからと言って、すべてを加齢のせいにしてあきらめるのは早い。海馬の萎縮を運動で食い止められることが、明らかになっているんです。アメリカの研究チームが、平均年齢70歳の男女120人を対象に実験を行いました。120人を "運動をするグループ"と"ストレッチだけするグループ"に分けて、1年後の経過を調べた。すると運動を続けたグループは、約2%海馬が大きくなっていた。一方ストレッチだけのグループは、逆に1〜2%萎縮という結果に。被験者が行ったのは軽い有酸素運動だったといいますが、とにかく運動をすれば高齢者でも海馬は大きくなる。記憶力は加齢によって低下する、という常識が覆されたわけです。
※【参考文献】「京大の筋肉」2015年・「京大の筋肉2」2018年 デジタルアーカイブズ(株)
私の研究室でも、少し違った角度から実験を行っています。糖尿病の患者さん14人に、EMS機器で1日40分の電気刺激を週5日、8週間続けていただきました。すると全員の脂肪が落ちて筋肉が増えたとともに、BDNFが大幅に増えていたんです。増加率は平均約110%と、2倍以上にもなっていました。
糖尿病になると、アルツハイマー型認知症にかかるリスクが高まります。実際に糖尿病の患者さんのBDNFを計測すると、低い数値しか出ません。しかしEMSの力を借りれば、認知機能の衰えを防げる可能性が見えてきた。引き続き研究を進めて、病気と闘う皆さんの健康回復に貢献していきたいです。
※【参考文献】「京大の筋肉2」2018年 デジタルアーカイブズ(株)
BDNFは、ウォーキングなど負荷の軽い運動でも増やすことができます。さらに筋トレをして筋肉にキツい負荷をかけると、BDNFとは別にIGF-1(インスリン様成長因子)というホルモンも分泌されます。
IGF-1は筋肉の成長を促すほか、βアミロイドを減らしてくれる。βアミロイドというのは、アルツハイマー型認知症の原因とされるタンパク質の一種。筋トレをすればより一層、認知症のリスクに備えられるということです。
昔から"文武両道"と言われてきました。運動ができる人は、勉強もできるという意味ですね。近年は脳と筋肉のメカニズムが解明されるにつれて、これが本当であることが科学的に証明されてきています。運動ばかりして勉強ができないのは、勉強の時間を取っていないだけ。何事もバランスが大切です。そして"文武両道"というのは、一部の秀でた人だけのものではありません。筋肉を鍛えれば年齢や性別に関係なく、誰もがそのようになれるんです。